ラムゼー  Ramsay, Sir William  1852,10,2 グラスゴー 生 1916,7,23 ハイ・ウイッカム 没
  スコットランドの化学者
15歳でグラスゴー大学入学、ハイデルベルク大学でブンゼンに学び、チュービンゲン大学でフィッティヒの指導によりトルエン酸の研究で学位を得、グラスゴー大学の助手、1877年ピリジンを合成した。やがて物理学に興味を持ち、1880年ブリストン大学教授、1887年ウイリアムソンの後を継ぎロンドン大学教授、1912年引退。1885年水銀の蒸気圧降下による金属の分子量測定、1893年エトヴェッシュの界面エネルギーの方程式を用いて液体の分子量測定等の業績はあるが40歳を過ぎるまでは華々しい仕事をしていない。ラムゼーの最重要な業績はレーリー卿と共同でアルゴンを発見、その後4種類の希ガスを発見した事である。ラムゼーは若い頃から敏捷でガラス細工の腕前は第一級。必要なガラス装置をたちまち作りあげるというふうであった。1894年レーリー卿の承諾を得て大気の窒素を繰返し赤熱マグネシュームの上を通してこれを固定し、残る未知の気体のある事を知った。彼は文献を調べ、一世紀前(1785)のキャヴェンディッシュのresidualgas(窒素の1/120の体積のあることを知り、実験を繰返し、少量の新しい気体を得た。これがアルゴンである。アルゴンは全然化学反応を示さず、比熱の測定から単原子成分であることを発見した。その中に大英博物館員からウランの鉱石中に窒素に似た気体が含まれているという論文を教えられ、ロンドン市にあるウラン鉱石クレヴァイトを買占め、この鉱石を薄い硫酸と熱して少量の気体をクルックスに送りスペクトルを調べた。その結果、27年前に太陽中に発見されたヘリュームと同じものであることが解かり、ラムゼーは地上におけるヘリュームの発見者となった。(1895年3月26日)。こうして元素の周期律に新たな零族が加わえられた。世界の学者は道の元素を予想して1895-96年に多数の鉱石を調べたが不成功に終わった。ラムゼーは大気中の存在を予想した。その頃液体空気を作る装置が発明されたが、1895年5月24日ラムゼーの研究室へ液体装置の発明者オルセフセキが液体空気の残渣を少量持参した。彼はそのスペクトルを調べ、直ちに新しい機体の存在を知った。5月30日にトラヴァースと共に新元素クリプトンを発見した。続いて液体空気から酸素と窒素の大部分を蒸発させ、残りのを再び液化、分留を行い、その最も揮発性の部分から6月12日に赤いスペクトルを与えるネオンを発見し、7月12日には一番不揮発性の部分から希ガスのキセノンを発見した。こうして4年間に新型の5種類の未知元素を発見したこと、特に最後の3元素を数週間の短期に発見したことは化学史上の大きなエピソードである。これが20世紀における原子構造論の一大基礎になったことは言うまでもない。1904年、空気中の希ガス類諸元素類の発見と周期律におけるその位置の決定についての研究で、ノーベル化学賞を受賞。
[著書] A System of longanic Chemistry, 1891/The Gases of the Atmosphere.1896/Essaya, Biographical and Letters of Joseph Black, 1918/(没後 Donnanにより出版)
櫻井錠二との関連
 ラムゼー著「化学理論の実験証明」の邦訳をする[年表1]
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