櫻井錠二と皆既日食に関わる資料
明治4年金沢から徒歩で東京本郷の前田邸の一隅に落ち着き、南校に入学した錠二14歳当時には独逸語の部には星学科があり、後の旧東京大学には東京天文台の研究機関が設置されていた。英語の部の錠二は専攻していないと思われる。東大を定年退職後の昭和初期には「学術振興会」「学術研究会議」「帝国学士院」などの役職を兼務していて、錠二遺品資料の中に天文関係の資料は少なく。昭和9年の「ロソップ島皆既日食観測隊歓迎晩さん会挨拶」と
昭和11年北海道各地で観測された「皆既日食」の記念メダルがある。


 南洋ロソップ島皆既日食観測隊歓迎晩餐会に於ける学術研究会議会長としての挨拶
(昭和9年3月6日)
 今回皆既日食観測の為、南洋ロソップ島に出張せられたる方々が大成功を収めて目出度くご帰郷に相成りましたることは学界の一大慶事であります。 就きましては聊(イササカ)歓迎の微意を表し又観測隊の南洋出張に関し種々のご援助を与えられましたる各方面の方々に聊感謝の微意を表せんがため、今夕ここに粗餐を設けてご案内申し上げましたところ、ご多用中お繰り合わせを持ってご光来下されましたることは私の光栄とする所でありまして厚く御礼申上げます。
さて、今回の日食観測の大成功には、大小直接間接等種々の原因があることと考えれらますが、その最も顕著なるものが協力であることは明であると思うのであります。
第一に約二年間に渉って行われたる内地に於ける各種準備の外、極めて不便不自由なる観測地点たるロソップ島に於いて更に苟(イヤシク)も遺漏なきを期し最大の注意を払って夫々分担事項に就いて準備を完全に整えられましたることは早乙女隊長の計画指揮その宜しきを得たると共に隊員諸氏の旺盛なる協力的精神の発露に外ならざる所であると信じます。
しかも完全なる準備が成功の第一要素であることは申すまでもないところであります。
次に観測隊が南洋に出張するに就きましては海軍を始めとし、南洋庁、外務省、拓務省(植民地)、文部省等各方面より大なる援助を得、ことに海軍が春日艦を提供して観測隊に多大の便宜と優遇とを十分与えられたることに対しましては感謝措(オ)く能(アタワ)ざる所であります。
しかもこの方面のご協力が今回の成功に大なる貢献をなしたることは是亦申すまでもない所であります。
最後に転向に就いて一言、観測当時が無上の晴天であった事は実に天佑と申すべきでありましょう。
私はこの天佑もまた一種の協力だという風に解釈して観測当時の晴天は即ち人間の熟成努力を愛でその苦心に同情を寄せて天が人間に協力を与たえた結果であると考えたいのであります。
とにかく今回の成功は各方面の協力が主要な原因を成して居るのでありまして早乙女隊長始め、隊員諸氏の二か年に渉るご苦心もこれに依って十分酬いられたることと信じます。