大宮司・権大宮司ご先祖墓を訪ねて 能登羽咋・一宮気多大社 2006/11/4
気多大社櫻井サンマイと言われる大宮司家墓地入り口
明治期の大宮司家墓石群(最近整備された)
明治以前の大宮司家・権大宮司家の墓所
古来、神道では死は「忌み嫌う事」であり、墓地へ行く道や神門も別にある。大宮司・権大宮司一族の葬られた一角は笹藪に囲まれ、風に運ばれ実生から大きく成長した樹木が周りを取り囲み恰も現世と分け隔てるかのような雰囲気を持っていた。亡き骸は土葬し土饅頭の上に小さな自然石を載せるだけの簡素な墓であって墓前祭などは執り行われなっかたそうだ。無数の土饅頭はそれだけ永い時間の流れを物語っている。それ以外の社家は少し離れた別の区域に埋葬されている。
残念ながら当家初代監物以降5代甚兵衛の墓を確認する事は出来なっかたが、確かに気多の地に埋葬されている事は文書に残されている。
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